「煒水の漢詩歳時記」 4月
寒い冬から解放されて、いよいよ春本番の四月です。
四月には二十四節季の清明があり、行楽の季節です。この時期、野山を歩いてつい口ずさみたくなる漢詩の一つに杜牧(とぼく)の「江南の春」があります
江南春
千里鶯啼緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少樓臺煙雨中
千里 鴬啼いて 緑 紅に映ず 水村 山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺 多少の楼台 煙雨の中
(意味)
見渡す限りの広々とした平野に鴬の声が聞こえ、緑の木々に赤い花が映えている
水辺の村や山里に風が吹きわたり、酒屋の旗も翻っている
南朝以来、南京では四百八十の寺院が建てられ
多くの楼閣やうてなが春霞に中に煙っている
江南は中国の長江下流に広がる穀倉地帯で、日本の風景に近いものがあります。運河や湖沼が多く、「天に極楽あれば、地に蘇州・杭州あり」といわれる程の風光明媚なところです。
私も何度が訪れましたが、やはり春が一番素晴らしいと感じました。
【鑑賞のポイント】
この詩の特徴は、起句以外は名詞のみで動詞がないことです。私がこのような名詞の羅列をすると、味わいもなく下手な詩となりますが、杜牧先生さすがにうまいですね。
★「千里」 当時の一里は約500メートルですから、千里は500キロメートルです。これは東京・大阪間と同じ距離です。とても見渡せる距離ではありません。つまり、これは広々としていることをあらわす誇張です。このような誇張は「白髪三千丈」などにもみられ、漢詩の重要な表現方法の一つです。
★「緑と紅」 漢詩にはよく色を強調します。「緑と紅」は春によく用いられる色のコントラストです。夏なら「碧と白」のコントラストがいいですね
★南朝 この場合の南朝は5世紀から6世紀の宋、斉、梁、陳の四王朝のことです。この時代は仏教が盛んでとくに、梁の武帝は信仰心が篤く、七百余りの寺院を建立したといわれています。
★四百八十寺 この四百八十寺は誇張ではありません。実数です。八十寺の「十」は漢詩作成のルールである平仄(ひょうそく)に反しています。したがいまして、「ジュウ」とは発音せずに「シン」とよみ、「シヒャクハッシンジ」と読むのが慣例です。
杜牧(803~852)は、字を牧之、樊川(はんせん)と号しました。祖父の杜祐(とゆう)は三代にわたり宰相をつとめ、従兄弟の杜悰(とそう)も宰相でした。また、杜牧も秀才で26歳の時には科挙に合格し、高級官僚の道を歩んでいます。
また、たいへんイケメンで当時の花街では大変人気があったようです。しかし、このような風流才子であるがゆえに、気位も高く、権力者から疎まれることも多くありました。
「江南の春」も中央政界から離れた時期に作られたものです。杜牧の詩は、杜甫のように強烈に胸に迫るものは少ないですが、なんとなく心に沁みるものがあります。
(佐藤煒水)