「うたごよみ」によせて その1「松」と「竹」
その1
「松」と「竹」
風雪に耐えしのび、その中でもはっきり見える緑の色は、「松」と「竹」の色です。
童謡の「一月一日」でも、次のように歌われています。
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ 今日(きょう)こそ たのしけれ
和歌にも松と竹は常緑で「色変へぬ松と竹」と詠まれます。そして、雪と松、雪と竹を歌った和歌も多く、雪の白さと、松と竹との緑の違いを好んだのだと思われます。
さて、1月号に「子の日」の「小松引き」が紹介されています。これは、平安時代は「子の日の遊び」と言って、貴族達は正月最初の「子」(ね)の日「初子」に、北野や紫野の船岡山など郊外の野辺に出掛けて、小松を引いて千代を祝い、若菜を摘んで料理の食材に加えて皆で長寿を祝い、和歌を詠む宴を設ける風習がありました。それがやがて遊興の行事となりました。
正月最初の「子」(ね)の日に丘に登り、四方を遠く望めば、陰陽の静気を得て憂いを除くとされ、「子の日(ねのひ)」に「根のび(ねのひ)」を掛けて、長寿を願ったということです。
現在でも「根引きの松」(ねびきのまつ)と言って、
関西地方では、家の玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた
根が付いたままの小松が飾られているのはその名残りでしょう。
子の日の小松引きを詠み込んだ和歌や俳句は多く、栄花物語や源氏物語にも登場してきます。
ここでは、代表的な和歌と俳句を紹介します。
和歌では、
「子の日する野辺に小松のなかりせば 千代のためしに何を引かまし」(壬生忠岑)
(大意:子の日の遊びをする野辺に、根引きする小松がもしなかったならば、千代の長寿にあやかる例として、いったい何を引いたらよいのだろう)
俳句では、松尾芭蕉が吟じています。
「子の日しに 都へ行かん 友もがな」(子の日の遊びをしに都まで一緒に旅をする人がいるとよいのだが)で、「子の日」が季語になっています。
次に「竹」についてですが、
冷泉貴実子氏の2月のエッセイの中に「千尋のかげ」とあります。この言葉は、在原業平と思われる人物を主人公とした「伊勢物語」第79段に「我が門に千尋あるかげを植ゑつれば夏冬たれか隠れざるべき」と歌われています。大意は「われらの門に千尋もある広い陰のある竹を植えてあるので、夏も冬もわが一門はみんなその恩恵をこうむるでしょう。」となります。このように好んで植えられたことがわかります。ちなみに、「尋」は手を広げた長さで1.8メートルのことです。
また、竹には、竹のことばを使った「さす竹の」という枕詞があります。
「さす竹の」は「大宮人(おほみやひと)」などを導く枕詞です。「さす」は伸びて行く意味で、竹が、勢いよく成長する様子をいい、都や人などが栄えるように祈る言葉として使われ、めでたいこととしたことが窺えます。
そして、以下のような言葉を導きます。
大宮人(おほみやひと)、皇子(みこ)の宮人、舎人(とねり)男。
また、竹の節(ふし)の意味から、「世(よ)」=「時」を意味し、重なることで、長寿を意味するめでたいものとなるのです。
万葉集第6巻955の歌では、
「さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君」(長官どののような大宮人たちが、故郷として住んでいる里の佐保。その佐保山を思っておいででしょうか)と歌っています。
冷泉貴実子氏のエッセイは、1年間つづきます。
ぜひ、和歌の世界を楽しみましょう。
2025年1月 北川詩雪