「煒水の漢詩歳時記」 3月
はじめまして佐藤煒水です。
『漢詩歳時記』では、その季節にあった漢詩を、
その詩が生まれた背景やエピソードを交えながら紹介していこうと思っています。
さて、例年になく厳しかった冬が過ぎ、木々が芽吹き始めました。
春風が柔らかく頬に吹き、水が温む心地よい季節になります。
でも、ちょっと油断するとつい寝過ごしてしまう季節です。
そんな季節を謳った孟浩然(もうこうねん)の有名な詩があります。
春暁
春眠不覺暁
處處聞鳴鳥
夜来風雨聲
花落知多少
春眠 暁を覚えず 処処 鳴鳥を聞く
夜来 風雨の声 花落つること 知る多少ぞ
(意味)
つい、朝寝をしてしまい、夜明けに気がつかない
あちこちで鳴く鳥の声で目が覚めた
昨夜は風雨が激しかったようだが
さてどのくらい花が散ったのだろうか
【鑑賞のポイント】
★「聞」 無意識に耳に入ってくるというようなニュアンスのある漢字です。
耳を傾けて聴くというニュアンスの「聴」では、詩の雰囲気が台無しになります。
★「多少」 今の日本語では「少し」という意味でしょうが、むしろ「多い」という意味に近いでしょう。
この詩の作者である孟浩然(689〜740年)は、若い頃から各地を放浪し、唐の玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとしますが、結局、官吏登用試験である科挙に及第できず、生涯各地を放浪しました。
彼の支持者は当時の朝廷の高官にも多くいて、官吏への推薦もありましたが、いざ玄宗の前に出ても、孟浩然は不平不満の詩を作って玄宗を怒らせるなど、立身出世には関心が薄かった人のようです。
当時の役人は早朝から出仕していましたので、「春眠」のような朝寝を楽しむことができません。この詩は、当時の価値観から超絶した彼だからこそできた詩かもしれません。
(佐藤煒水)